スルメ日記

ライターのユッキィ吉田が「ゆるい日常」を綴っております。

しゃべれども


連休明けからハードな毎日が続く。月曜は例のドタキャン会議をリベンジ決行。火曜日も早朝からフル稼働。本日は屋外での長時間取材。街を歩きながら話を聞くという、病み上がりには過酷なインタビューである。


インタビューの最中、突如、声が出なくなった。痛くもかゆくもないのに、なぜか発声不可。ついにノドまでダウンしたらしい。仕事を始めて20年、こんな椿事は初めてで、あせりながらも妙に笑えてくる。力を振り絞り、ブルース歌手のようなハスキーボイスでなんとかやり通したが、終わった後、ジャケットを絞れるほど汗をかいていました。


ライターは、ノドを酷使する職業である。パソコンに向かって黙々とキーボードを叩く時間などはほんの一部で、大半は打合せ、インタビュー、プレゼンなどのオーラル・コミュニケートに費やされる。聞いてナンボ、しゃべってナンボの世界だ。話すより文章を書くのが好き。そんな理由でライター業を選択する人もいるけれど、口ベタでは到底やっていけない。


ライターが小説家とまったく異なるのは、この点だろう。同じ文筆業でも、あちらは編集者と意思疎通する能力さえあれば、やっていける。極論すれば、一言もしゃべらなくても営むことが可能なわけだ。そんな執筆スタイルが、時々無性に妬ましくなる。今日のような泣きっ面に蜂状態だと、なおさらに。


不思議なもので、仕事を離れると、ライターは意外にしゃべらない。酒場などでも、ひとり静かに飲ませてくれ、という面々が多い。一方、小説家は、話し好き。とりわけ純文学系の先生など顕著である。相手のことなどお構いなく、マグマを噴き出さんばかりにしゃべり続ける爆撃型が多い。その業火のようなエネルギーに、何度唖然とさせられたことか。私の経験上、この傾向はまず間違いない。


そんな、どうでもいいことを朦朧と考えた真夏日