スルメ日記

ライターのユッキィ吉田が「ゆるい日常」を綴っております。

嵐の銀座で聴いた声


台風4号をものともせず、一路、東京へ。ふふふ、今日から3日間、落語漬けである。今年も馳せ参じた大銀座落語祭。しょっぱなから衝撃的な高座に出会いました。本日は、衝撃ゆえに長文(かつ乱文)でありますことをお許しください。


王子ホール


桂文福「お笑い民謡教室」
川柳川柳「ジャズ息子」
桂三枝「大橋節夫物語」


銀座4丁目の瀟酒なクラシックホールで開催された音楽と落語のコラボレーション。川柳御大の「ジャズ息子」聴きたさにチケットを取ったんですが、いやぁ、ノックアウトされましたね。だれあろう、三枝師匠に。


三枝さんといえば、創作落語の第一人者ってことは、落語ファンならご存知でしょうが、なんと、この会は「ネタおろし」だったんですね。


「大橋節夫物語」


日本のハワイアン音楽の先駆者、大橋節夫を題材とした一代記風の語り。それを生バンドとの共演で聴かせるという趣向なんですが、こういった手間のかかる企画モノを、師にとってはアウェイの地・東京で初披露するという意気が、まずはカッコいい。


ところが、です。


昨日から仕事で徳島入りしていた三枝師、今日の昼便で東京へ飛び、バンドと最終リハーサル、そして本番という予定だったそうですが、台風4号が邪魔をした。とんだハプニング。飛行機が欠航となり、急遽、徳島→大阪をクルマでひた走って、新幹線で東上する羽目に。
ようよう会場に到着するも、すでに舞台は始まった後。リハーサル叶わず、ぶっつけ本番の様相で高座にあがってこられたのである。アロハ生地の着物に袴、首には木の実のレイ。そんなシャレた出で立ちにも関わらず、ものすごく緊張している。


御年63歳。落語家生活40余年。キャリアも人気も東西トップクラスといっていいほどの師が、必死で震えをこらえながらマイクを握りしめ、噛み締めるように一語一語を繰り出す。


その姿に、ガツンとやられました。


ネタおろしのプレッシャーたるや、芸人でなければ絶対にわからない。そんな言葉を聞いたことがあるが、あの、スマートで、何でもそつなくこなすというイメージの三枝師にとっても、創り上げた作品を初めて人前に出すという行為は、かくも負荷を強いるものなのだ。死にものぐるい、という言葉が脳裏をよぎる。


大橋節夫とスティール・ギターの出会い、戦地への出征、特攻隊員としての恥辱、終戦。敵国の音楽で日本のポップスを開拓していくバイタリティ、詩に込めた「生き残り」としての気概。


ややもするとウエットになりがちな題材を軽妙に紡いでいく高座。ときに、自身の切ない青春時代の回想を織り込みながら、名曲もたっぷりと聴かせてくれる。(生バンドは、大橋さんと組んでいたハニー・アイランズの面々。素晴らしい)
その構成の妙にも唸りました。


1時間の、文字通りの大熱演。アンコールには、渋い和服から真っ白なシャツに真っ赤なハイビスカスのレイというスタイルに早変わりして、さっそうと登場をする三枝師。最後の挨拶では、無事にやり遂げた安堵感か、それとも大橋さんへの思慕なのか、目に光るものがありました。


なんといえばいいのか……プロの仕事を見た! そんな衝撃に絡めとられた私。


いま、東西に600人の落語家がいるけれど、恐らくは、その中で1,2を争うほど忙しい三枝師。ここ数年、高座中心の生活にシフトしているとはいえ、吉本興業に所属する以上は、なんばグランド花月で1日4回も(!)落語を演ったり、過密スケジュールの地方巡業もこなさなければならない。上方落語協会の会長という重職もある。そんな多忙な生活にも関わらず、この創作意欲と覚悟はどうであろう。いつ、どこで、どれほどの稽古を積んでいるか。


満座の拍手と口笛が飛び交うアンコール。三枝師の姿は、私には鋭い刃物のように見えた。刃先は、確実にこちらへ向いている。


(追記)あとで知ったのですが、三枝師匠、翌日の大銀座(中央会館)で演ったネタもすべて初披露だったそうです。3席すべて、ネタおろし。なんて人だ。