スルメ日記

ライターのユッキィ吉田が「ゆるい日常」を綴っております。

木の霊力

相生座



久方ぶりの歌舞伎見物。岐阜県瑞浪の「相生座」という芝居小屋へ。


地歌舞伎が盛んな東濃地方には、昔ながらの芝居小屋がたくさん残っているんですが、相生座もその流れを汲む遺構。そこへ大歌舞伎がやってくる。しかも座頭は、市川亀治郎。というわけで、秋の一日、ローカル列車に乗り込み、美濃への旅人となった私。


いやぁ、良かったです。かれこれ二十年以上、歌舞伎を観てきたけれど、今までのはなんだったの、と言いたいほどの良さ。


なんといっても小屋の風情ですね。相生座は定員350人というから、かなりの小規模。私の故郷、讃岐の金丸座が定員700人なので、あの半分の広さだ。しかも客席には枡がない。田舎家のような座敷なんですね。このくつろいだ雰囲気が、もう最高。


定式幕が薄いので開演前の舞台が透けて見えるわ、役者が花道を通れば、お客さんに触れるわ、楽屋裏を走る足音が、おもしろいほど聞こえてくるわ、難点も多々あるんですが、そういうノイズが、まったく気にならない。むしろ味になっているから、不思議。あぁ、昔の人は、こんな濃密な場所で芝居を観ていたのか。役者の表情はおろか、眼光から額に滲む汗まで目にしていたわけだ。悔しいね、まったく。


演目は、「安達ヶ原三段目」「吉野山


知らなかったのだが、現在、澤瀉屋に伝わる「安達三」は、ここ美濃が発祥なのだそうだ。市川猿之助が、美濃歌舞伎で活躍しておられた松本団升さんという振り付け師に教わり、大歌舞伎に取り入れたという。そんな歴史があったとは……。まさにこの公演、故郷に錦を飾ったわけだ。


亀治郎、まずは女形で祭文語りをじっくりと見せ、中盤、安倍貞任へ早変わり。実に鮮やかで、なるほど、後半がぐっと盛り上がる。


劇中口上が入る。「ゆかりある相生座で安達ヶ原を上演できることは、このうえない歓び」。亀治郎が、ご当地との縁を披露し、この夏他界された団升さんへの追善を述べると、客席には、そっと涙を拭うお年寄りがいらした。


吉野山」も驚きの演出。この舞踊劇、普通は忠信のまま花道を引っ込むが、猿之助バージョンは幕切れ寸前、狐に変化する。衣装も「ぶっ返って」派手に六方を踏んで行く。ところが、今日は、更なるおまけつき。なんと下座が「四の切」。あの、有名な宙乗りの音楽ですよ、あなた。いやぁ、盛り上がること。かつて、この小屋で奮闘した叔父へのオマージュなのか、それとも、澤瀉屋の「千本桜」は俺が受け継ぐという強烈な意志表明なのか。


拍手が鳴り止まず、カーテンコールへ。駆け付けた亀治郎、狐の心のままで客席へ黙礼する。余韻を消さない工夫だ。やるなぁ、亀ちゃん。


終演後、楽屋口に子供が詰めかけていた。さっきまで二階の桟敷から、真剣な面持ちで舞台を観ていた子たち。地元の歌舞伎保存会の子に違いない。そういえば、いまや引く手数多の活躍を見せる笑三郎は、美濃の地歌舞伎の出身なんだよな。この子たちの中から、次代のスターが生まれるかも…。そんな思いを巡らせつつ小屋をあとにすると、空には降るような星。久しぶりに見る満点の星空だ。前庭には灯りの入った燈籠が並び、なんとも風情ある秋の夜。


今度は、是非とも、おひねりが舞台を埋め尽くすという地歌舞伎を観にこよう。そうだ、弁当も持ってこなくちゃ。もちろん美味しい地酒も忘れずに。そう決心する私。


しかしなぁ、こんな舞台を見てしまったら、もう歌舞伎座の三階には戻れない。どうする、自分。