スルメ日記

ライターのユッキィ吉田が「ゆるい日常」を綴っております。

春風駘蕩

bluesnake2008-04-15



夜半もコートなしで歩ける陽気となった。心をほころばせ、栄の中電ホールへ向かう。立川談春独演会。初の随筆集『赤めだか』の出版を記念した全国ツアー。


雑誌『en-taxi』の連載時、目黒孝二に「あらゆる雑誌の中で、いまいちばんおもしろい」と激賞された師の随筆。私も初回を読んで、その描写力に少なからずショックを受け、第二話で完全にノックアウトされ、以後、師の連載を読むために『en-taxi』を発売日に買い続けたひとりである。


単行本の帯には福田和也のコメントが載っているが、まさに同感。「プロの書き手でも、この水準の書き手は、ほとんどいない」物書きの身としては、キツい一言だ。


マクラは、やはり出版の経緯から。師匠・立川談志との悲喜こもごものエピソードで構成された随筆集だけに、出版社側は、タイトルに「談志」の一語を入れよ、と懇願してきたそうだ。そりゃ、その方が売れるのは、自明の理。しかし、談春は首を縦に振らない。それどころか「前座」「修業」という、落語家の本にお定まりのフレーズは使いたくない、との頑固ぶり。で、自ら挙げたタイトル候補が、「赤めだか」と「糞づまり」 ……というような裏話から「書けなかったことが多くて」と、ニンマリ。闇に葬られた「談志ばなし」へと展開していく。


前座時代に談志宅で遭遇した「ある一夜」の顛末。このエピソード、過去にちらりと聞いたことはあったのだが、今宵は、たっぷりフルバーションである。コトの発端から後日談まであって、人情怪異譚とでもいうべき大長編。メチャクチャ面白い。前列に座っていたサラリーマン氏など、膝を叩いて笑い転げていたほど。完全にマクラの領域を超えている。


異様なテンションで突き進む談春師。マクラだけで、ゆうに30分は経過。オードブルのはずが、いきなりのメインデッシュ登場に、あとの流れが心配になったのだが、杞憂でしたね。流れる汗を拭き、たもとを整え、するりと「棒鱈」へ。


凄いなぁ、と嘆息したのは、ここで会場の温度を下げないんですね。「棒鱈」は爆笑が約束された滑稽譚ではあるけれど、冒頭には多少段取りシーンがあって、普通はちょっとゆるんだりもする。なのに、談春「棒鱈」は温度をキープしたまま。一瞬にして江戸の料理屋の空気を創り上げ、聴衆を畳の上に乗せてしまうのである。なんだろうね、このテクニック。


コラムニスト・堀井憲一郎氏によると、「うまい落語家は、何よりダレ場を処理する術に長けている」のだそうだ。このセオリー、実感させられましたね。改めて感心するやら、憎らしくなるやら。


「棒鱈」は、田舎侍の「鮫塚殿」の人物描写が、なんといっても出色。愛すべき大人物。一気に鮫塚ファンになる私。去年、国立劇場で「文違い」を聴いたときも、芸者に振りまわされる田舎大尽の、どこか春風駘蕩とした人柄が印象的だったのだが、談春師は、こういう超然とした人物が、この頃、やけにうまいのである。何か、突き抜けた感がある。


「もずのくちばし」から「お正月の歌」へと、明るく豪快に突き進み、最後は、江戸っ子の啖呵でキュッと締める。啖呵は、言うまでもないけれど、うまい。圧倒的。聞き惚れました。当代で、ここまで胸がすく啖呵を切れる落語家は、他にはいない。天の配剤だ。


フルコース堪能しました、美味しゅうございました、って状態で、ようやく中入り。後半は軽めのネタをやるのか、と思いきや、またしても「明烏」芽吹きの季節にふさわしいセレクトながら、談志ばなしと爆笑・棒鱈ですっかり満腹のこちらとしては、あっさりしたデザートで良かったのに、などと贅沢この上ない思いがよぎる。「明烏」もかなりのテンションで、時次郎の一直線ぶりが実に可愛らしい。


立川談春という人は、一見、粋で洒脱な江戸落語の遣い手に見えて、その精神は、絶対に上方だな、と確信。お客を物理的に満足感させるという手法もそうだけど、何か、この人の根本には、上方の濃厚なアクのようなものが渦巻いているのでは、と思ってしまう。脈絡は不明なんですが、談春の高座にふれると、絶頂期の藤山寛美を思い出すのだ、私は。


最後に禁断のお知らせ。再来月の談志・談春親子会の告知ときた。なんにも決まってないんですよ、大丈夫ですかね…と苦笑しつつ、一瞬、襟を正す談春師。「歌舞伎座の舞台に立つ談志を見ていただけるのは、恐らく、これが最初で最後かと…」


心が揺れてしまうよね、まったく。