行動(doing)と存在(being)
『ひきこもりでいいみたい 〜私と彼らのものがたり』
最近読んで深く共感した一冊。
著者の芦沢茂喜さんは、山梨県中北保健福祉事務所に勤務するソーシャルワーカー(精神保健福祉士、社会福祉士)。数多くのひきこもりの人たちと接した体験を通して得た「具体的な対応」を書いている。
当事者や家族との対話が、シナリオのように具体的に記載されており、「こんなふうに話かければ良いのか」と腑に落ちる箇所が多かった。
何より、当事者を肯定し、現状を無理に変えようとしない姿勢に大いに共感した。寄り添うことで、相手との信頼関係を少しずつ築いていく。とても時間と根気が必要な作業だけど、芦沢さんは淡々とやっておられる。その姿勢に感銘しました。
芦沢さんの姿勢は、ひきこもりに限らず、ふだん何気なく誰かと会話する場合にも大事なことが多い。そう感じたのである。
以下、印象に残った箇所。
P44 以前「正論はナイフ」と私に話してくれた人がいました。正論は家族にとっては現実を本人に分からせる武器であっても、本人にとっては自分自身に向けられた刃になります。
P66 私達は動きがあることが良く、動きがないことが悪いと判断してしまう傾向があります。動くという行動(doing)を取ったか否かを物差しとして採用した場合、動かなければ、その人がそこにいるというを否定してしまうことがあります。100点満点のうち、できてないことを挙げ、減点していくのではなく、できていた時に加点していく視点が重要だと思います。
P70 私は関わる上でゴールを決めません。ゴールを決めない以上、計画も立てません。彼らとの関わりでは、ゴールに向けて進むのではなく、毎日の生活を送りながら、ゴールがなんとなく見えてくることの方が実態に合っており、このなんとなくに耐えること、なんとなくをはっきりさせないことが重要だと私は思います。
P115 ひきこもりの期間は彼らが次に進むための発酵期間であり、それぞれが違っていることが魅力であると考えれば、素敵だなと思います。
P126 私自身は就労をひきこもり支援のゴールとは考えていません。適切ではないかもしれませんが、ゴールはどのようなものでもよく、今後生活をしていけるのか、生活していく糧(具体的にはお金)を得ることができるのか、そのためには就労をしないといけないのかについて本人と話していくことが大事だと思います。