スルメ日記

ライターのユッキィ吉田が「ゆるい日常」を綴っております。

ゆるすまち、ゆるされるまち

4月から6月まで、プロライター道場という勉強会に通いました。その修了課題として大阪の西成にある「釜ヶ崎芸術大学」を取材して記事にしました。

ダイヤモンド・オンラインに掲載されているのは短縮版でして、こちらが完全版になります。お時間がありましたら、ぜひお読みください。

 

ゆるすまち、ゆるされるまち

地図にないまち 釜ヶ崎

                                 

■盲目の歌い手

 

 おじさんが手を引かれて部屋に入ってくる。手には白い杖。盲目の人だ。ゆっくりと椅子に腰かける。介添え人もすわる。やがて指揮者がやってきた。ピアノ演奏の女性もつづく。こうして、今夜の授業がはじまった。

 

 ここは、「禁酒の館」というプレハブ施設。日雇い労働者の簡易宿泊所である。その片隅の雑然とした部屋で、合唱の稽古が行われている。参加者は12名。労働者のおっちゃんや学生、年配の婦人など、顔ぶれはいろいろ。

 

 「あの鐘を鳴らすのはあなた」「ケ・セラ・セラ」「防人の歌」を全員で歌っていく。ふぞろいのハーモニーが部屋に響く。大声を出す人、ただ立っている人、楽譜をのぞきこんでいる人。

 

♫ケ・セラ・セラ〜 なるようになる 

 先のことなどわからない

 わからない

 

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 大阪市西成区釜ヶ崎。東京の山谷、横浜の寿町と並ぶ、日本有数のドヤ街である。釜ヶ崎は、西成の北東にある簡易宿泊所街を指す名称だが、地図には載ってない。現在は、あいりん地区と呼ばれている。ちなみに「あいりん」は昭和41年に行政や報道機関が取り決めた名称である。釜ヶ崎ではだれも使わない。

 

 この街で、労働者が集まり、交わる場になっているのが「釜ヶ崎芸術大学」という一風変わった場所である。通称、釜芸(かまげい)。大学といってもホンモノの大学ではない。おっちゃんたちが、いろんな芸術を体験することで自分を表現していく街の学校である。もう7年もつづいている。

 

 合唱だけではない。宗教学、感情、表現、書道、天文学、音楽、地理、哲学、芸術、書道、篆刻、俳句、即興ダンス、数学、狂言、詩と、授業は多岐にわたっている。授業料は無料。払える人は、わずかなカンパを残していく。授業は、釜ヶ崎のいくつかの施設を借りて行っている。年齢、居住地、性別など一切問わない。誰もが参加できる場所だ。

 

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合唱部では、おっちゃんたちが作った曲も歌う。

 

「ふるさとのうた」

♫かぁ かぁ かぁ ふるさとはあの山

かぁ かぁ かぁ ふるさとはあの山

はたらいて はたらいて あるいてきたよ

気がつけば 気がつけば

この道の なつかしい道

いつか帰ろう ふるさとへ

いつか帰ろう ふるさとへ

かぁ かぁ かぁ 

 

 「やっぱり歌うの気持ちええなぁ。今日も楽しかったわ〜」

 

 稽古が終わると、盲目のおっちゃんは顔を赤らめながら話してくれた。歳は80代。聞けば、毎月欠かさず来ているという。幼い頃から目はほとんど見えない。楽譜を読むことができない。釜芸のオリジナル曲は、みんなの歌声を何度も聴いて覚えたそうだ。

 

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合唱部は毎年8月の釜ヶ崎夏まつりで成果を披露する

 

■病気を抱えた女性

 

 最盛期には200軒ものドヤがあった釜ヶ崎。ドヤとは、日雇い労働者のための簡易宿泊所のことだが、今は50軒にまで減っている。平均寿命は73歳。全国の市町村で最低である。高齢化が進み、生活保護の受給者は年々増えつづけている。かつては、抗争や暴動が頻繁に起こった街だが、いまはその活気もない。代わりに目立つのが、大きなスーツケースを転がす外国人旅行者の姿だ。釜ヶ崎は様変わりしようとしている。

 

 動物園前商店街を歩けば、歩行器を押すおっちゃんが目につく。スーパー玉出の袋を下げて、おぼつかない足どりでドヤへ帰っていく。

 

 釜ヶ崎で暮らすおっちゃんは、ほぼ全員が単身の高齢者。アルコール依存症精神疾患、失踪者、生き辛さを抱えた人……、だれもが負い目を背負っている。そんな彼らを支援する場所は多い。幼稚園の校舎を改修した「ひと花センター」は、生活保護を受給する65歳以上の人を対象とした施設だ。

 

 ここで開かれる「今日の出逢いを体験する」という講座に足を運んでみた。

 

 「部屋が暑いんで冷風機がほしいんやけど、あれ、ほんまに効くんやろうか」

 「東京にいたときに飛び降り自殺見たよ。岡田ナントカって女の子だった」

 「東北にあつみ温泉ちゅうんがあるんやが、わしが掘ったんやで」

 

 おっちゃんたちが、いろんなことを喋りあう場だ。進行役の女性が、今日のテーマを伝えるが、そっちのけで話に花が咲いている。釜ヶ崎のおつちゃんは、大半が全国の建設工事の現場をわたり歩いてきた人だ。流暢な江戸弁、東北なまり、九州のことば、いろんなお国ことばが飛び交う。

 

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 ふと、ドアが開いてひとりの女性が入ってきた。歳の頃は50前後。腰をかがめながら、話の輪に加わった。参加者が「はじめてですか」とやさしく声をかける。

 

 「は、は……」

 

 しゃべりがたどたどしい。すぐに身体障害者だと気づく。しばらくは、みんなの話に相づちをうちながら聞いていたが、突然、口を開いた。

 

 「がんかもしれん……医者に言われて……」

 

 空気がざわつく。

 

 「え、何がんですか」

 

 「大腸がん……ポリープかもしれんけど……検査せんとわからん……言われて……」

 

 進行役の女性がことばを選びながら、ていねいに状況を聞いていく。どうやら病院で大腸がんの疑いがあると告げられ、検査を受けるかどうか迷っているらしい。近くの福祉施設で生活をしている、その女性は身体障害者手帳を持っていた。

 

 私は思わず声をかけた。

 

 「大腸がんは治療技術が目覚ましく進んでいて、軽いものだったら、内視鏡の手術で治りますよ。入院する必要もないんです。お顔の色も良いですし、きっと大丈夫ですよ」

 

 がんということばに、不安を抱くのは当然だ。しかし、治療技術は日進月歩で進んでいる。私もがん患者のひとりなので、自分の体験を少しばかり話した。

 

「ありがと……検査うけます……ホッとしました」

 

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■からくり博士

 

 釜ヶ崎芸術大学は、2012年に始まった。運営は、「こえとことばとこころの部屋」というNPO法人である。スタッフ5名の小さな所帯だが、地域の住民やボランティアに支えられ活動を続けている。代表の上田假奈代さんは話す。

 

 「釜ヶ崎のおっちゃんたちは、世間からは疎まれる存在です。でも、釜芸に参加すると、生きていてええんやと、自分を肯定される。その感情が生きる喜びにつながっていると思います。誰かに影響を与えることができるのは、人間として大きなよろこびです。人はかかわり合うことで、新しい気づきをもたらすんじゃないでしょうか」

 

 詩人でもある上田さんは、行政や医療、福祉と違って、釜芸は誰もがフラットになれる場所だという。 

 

 「権威ではなく、寄せ場の背景をもつ釜ヶ崎こそ、本当の意味で学びあう大学と言えるのではないかと考えています」

 

 おっちゃんたちが表現することで、若い人に影響を与え、それが循環していくような状態が理想だと話す上田さん。「生徒」から「先生」になったおっちゃんもいる。

 

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 釜ヶ崎芸術大学を運営するNPO法人「こえとことばとこころの部屋」代表の上田假奈代さん

 

 そのおっちゃんは、6年前に釜ヶ崎にやってきた。71歳。一緒に暮らす家族はいない。何もすることがない毎日。自転車に乗って図書館へ通うのが、唯一の楽しみだった。ある日、図書館で何気なく手にとった、からくり人形の本が契機になった。

 

 「自分にもできるやろか」

 

 本を見ながら、電気の配線やハンダ付けを独学で勉強していった。飲んだビールの空き缶を使って、電気で動くからくり人形を作ってみた。

 

 「電気関係のことは、よう知らんかったけど、日本橋で材料を探して作ってみたんや。せやけど、むずかしいなぁ。途中であきらめそうになったんやけど、他にすることもないんでやりつづけたら、ようやくできたんや。完成したら、えらい自信がついたわ」

 

 制作中は、つらいことを忘れられたというおっちゃん。これまで作ったからくりは、20以上。どれも電気仕掛けで動く精巧なものばかりだ。自分でお酌してビールを飲む通天閣やリヤカーを押して歩く夫婦。とてもアマチュアとは思えない力作に、私は目を見張った。そしてこのおっちゃん、昨年、釜芸でからくり人形の講座を開いて、先生になったのである。

 

 「いつ死ぬかわからへん。自分が考えたからくりを誰かが継いでくれたら、それだけでうれしいんや」

 

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電気仕掛けで動くからくり人形。釜ヶ崎でリヤカーを押す夫婦をモデルにしている

 

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こちらはビールを飲む通天閣の人形。ビールの空き缶で作っている

 

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スーパー玉出のチラシで作るミニチュアも

■ことばで変わる人生

 

 代表の上田假奈代さんも授業をもっている。詩人である彼女は、一風変わった方法でおっちゃんたちと詩をつくる。2人1組になって、相手のことをインタビューするのである。生活のこと、仕事のこと、若い頃のこと、いろいろ聞いていく。それを聞いた人が詩にしていくのである。白紙の状態から書こうとしても、詩はなかなか難しい。でも、この方法なら、相手のことばに刺激を受けて、おっちゃんも想像がふくらんでいくと上田さんが編み出した。

 

 この日の参加者は、16名。夜間の開催なので、仕事帰りの会社員や主婦、学生も多かった。

おっちゃんたちは、自分のことを訥々と語っていく。困りごとや、モヤモヤしていること。ごった煮のような空間が広がっていく。

 

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「UFO一箱100円」

 

眠ざいのんでも寝れない夜は、

UFOにお湯をそそぐ……

しかるに俺は歳だから

少しばかりメン残す

残したメンは「うらめしい」と

くちゃくちゃのおばけになって

夢で俺をおどろかす

 

だけどそれはメンだから

かわいいものでこわくない

 

「わたし、UFO見たわ」

いつかお前は目をかがやかせ

来るその日を前にそう言った。

お前は心のキレイな人だったから

特別にむかえが来たのだろう。

ただ、できれば

老人用の小さなUFOを

作って欲しい…… 

 

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 「釜ヶ崎は人の過去を問わない街です。過去に何があっても、なんとか生きていける。ここは懐の深い街です。誰もが『ゆるすまち ゆるされるまち』だと思います」と上田さんは話す。

 

 「いま街は大きく変わっています。高齢化が進んで、おじさんの参加者が減りつつあります。数年後には死んでしまう人も多い。でも、彼らの存在をなかったことにはされたくない。日本の高度成長を建設現場で支えてきた人たちです。人生を記録し、記憶にとどめていきたい。表現することを通して、生きた証を次の世代に受け継いでもらいたいと思っています」

 

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 4月24日、釜ヶ崎の「あいりん労働福祉センター」が解体された。公共職業安定所や食堂、病院などが入っていた労働者の拠りどころが、老朽化を理由に姿を消したのである。大阪の浄化を名目に、変化を余儀なくされている釜ヶ崎。何年か後には消滅する可能性もはらんでいる。

 

 しかしこの街には、ささやかながら、自分の人生をことばに、絵に、歌に、踊りに託して生きる。そんな人が存在する。

 

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