千里の道
突風吹きつける日曜の午後。評論家・呉智英氏の「論語塾」に参加した。
不惑を過ぎた頃から、すこしは教養をつけて、残りの人生を悠々といきたいものだ……などと考えていたところに、開講の報せ。待ってました、と勇んで申し込んだのはいいけれど、いかんせん。この私、四書五経はおろか、漢字の書き取りすらヤバいという老人力増強中の身。ついていけるのだろうか。不安にかられつつ、会場の名古屋市公会堂へ向かう。
果たして。
いやぁ、面白かった。スリリングですらありました。
開口一番、呉氏の口から飛びだしたのは
「論語には何かいいことが書いてある、と思われがちだが、そんなことはありません」
ええっ? 論語って、プレジデントな管理職オヤジが愛用する、元祖ちょっとイイ話集じゃないんですか?
「まったくの誤解です」
爽快なまでに否定をされる。
論語は「危険な思想書」なのだそうだ。「激しい理想を持ちながら、社会的地位につけない人のルサンチマン」が詰まった書であり、それこそが、以後二千数百年の長きに渡って東アジアにしみ込んだ、儒教の原動力となったのだとか。ううむ、ルサンチマン、怨念てことですよね。はやくも、一筋縄じゃいかない雰囲気。
「孔子は、どうも歪んだ人物ですね」
あっさり言ってのける呉先生。孔子といえば、世界史に燦然と輝くヒトですよね? 聖人君子じゃないんですか?
「歪んでます」「だからおもしろいんですよ、論語は」
ぼんやりと抱いていた先入観が、次々と打ち砕かれていく。目からウロコが、束になって落ちていきましたね。
本日は、連続講義の初回なので、まずは四書五経の基礎や、漢字の成り立ちといった入門編もあり、こちらも「へええ…」の連続。論語以前の問題として、私は、この国の言葉についてあまりにも知らない事が多すぎる。一応、文章を書いて、糊口をしのぐ身でありながら、なんと不勉強であったことよ。
内容はヘビーだけれど、碩学・呉先生のパワフルな講義は、なんとも心地よい。実に口跡が明朗かつリズミカル。テンポ快調で、ダレ場がないのである。どんな高名な先生でも、テンポの悪い講義ってのは、10分も聞くと嫌気がさしてしまうもの。この点、呉さんは、名人級である。