スルメ日記

ライターのユッキィ吉田が「ゆるい日常」を綴っております。

敗戦国の皇太子

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www.nhk.or.jp

録画で見たNHK天皇 運命の物語 第1話 敗戦国の皇太子」がすこぶる面白かった。

父の昭和天皇に比べて(といっては大変失礼だが)どこか影の薄い印象の今上天皇。しかし、非常にドラマチックな人生を歩んでこられたと知る。

 

昭和8年の出生時からすで戦争の最中。生後2歳で両親から引き離され、大人ばかりの世界で暮らすことになる。いずれ訪れる天皇即位に向け、厳しい教育を受けるためだ。

学習院に入ってからも、学校には侍従がつきそい、授業中に少しでも姿勢を崩すと、侍従が飛んで来て正す。問題に答えられない場合も侍従からきつい叱責を受ける。「神の子」であるがゆえに同級生からは特別視され、常に孤独だったという。

 

同級生のコメントが何度か挟まれていたが、ある方が「(皇太子は)自己中心的な側面があった」と口にした。

 

サラッとした口調に驚いた。

 

太平洋戦争が劣勢を極めた昭和19年、奥日光へ疎開。その地で、ラジオの玉音放送により敗戦を知る。その情景が再現シーンになっており、畳の間にぽつんと一人座る皇太子は、孤独そのものに思えた。

終戦後、米国の作家ヴァイニング夫人が、GHQの命で家庭教師に選ばれて来日。同級生と一緒に英語の授業を受ける。英語名を付けていった際、皇太子はジミーという名になった。しかし、「自分はプリンス」と言って、その名を拒んだという。

昭和24年、東宮御教育常時参与として教育の責任者となった小泉信三は、皇太子の性格を憂慮して、海外への訪問を示唆する。19歳の時に、半年かけて欧米諸国を視察する。初の海外旅行だった。今ももっとも印象に残っている出来事のひとつだと、後年の会見で述べている。

 

視察の途上、イギリスでは、皇太子がエリザベス女王戴冠式に参列することへの反対運動が起こる。南方戦線で数多くの捕虜を日本軍に殺害されたこともあり、皇太子を良しとしない英国民が運動を展開したのだ。それを仲裁したのが、当時の首相ウィンストン・チャーチルだった。

 

評伝や著作の多い昭和天皇に比べ、今上天皇に関する情報は(特に幼少期は)少ない。それゆえに、初めて見聞することが多く、見入ってしまった。

 

テレビで見る天皇は、いつもにこやかで穏やかだが、その暗部をも垣間見せた秀逸な番組だった。

 

2回目以降を録画してないので、しまった!と後悔していたのですが、4月29日(祝)にシリーズ全話の再放送があるとの情報。これは必見。