スルメ日記

ライターのユッキィ吉田が「ゆるい日常」を綴っております。

桂枝雀生誕七十年記念落語会

お盆だというのに墓参りにも行かず、早朝から名古屋へ。桂枝雀生誕七十年記念落語会(名古屋・中日劇場)へ行ってきた。


1939(昭14)年8月13日生まれの枝雀師。存命ならば今年70歳ということで、追善興行ではなく「お誕生会」を開いて、故人を偲ぼうという企画。一昨日の大阪を皮切りに、来年3月の札幌まで全国をまわるそうだ。全15回の興行のうち、名古屋のみ、立川談志が出演するというので、いろいそと出かけたのである。


不世出の天才・桂枝雀に対して、稀代のトリック・スター・立川談志がどんな発言をするのか? 興味は、この一点に絞られていたわけだが、大方の予想通り、談志師匠はなごやかムードの「お誕生会」に冷や水を浴びせ、詰めかけた枝雀ファンの両の手に拳を握らせていた。私がコアな枝雀ファンならば、談志ワラ人形に作り、五寸釘を打ち込んだであろう。そんな、スリリングな会だった。


私は(懲りずに)談志ファンなので、以下、談志寄りの感想で故人を偲ばせていただく。


桂枝雀生誕七十年記念落語会。桂九雀「狸の賽」で幕開け。雀三郎「替り目」、南光「花筏」と続く。ベテラン陣だけあって、さすがに上手く破綻無し。御三方とも枝雀師匠のエッセンスを受け継ぎつつ、ちゃんと自身の芸風を確立している。「花筏」は、2年前に談志版を聴いたことがあるが、なんてつまらない噺だろう、としか印象に残らなかった。が、本日の南光版で全容を知る。いや、面白い噺だったんですね。南光さん、久々に聴きましたが、かっちりとした、いい高座だった。


南光師が笑顔でお辞儀をして高座をおりると、めくりが「立川談志」に替わる。その瞬間、会場が一斉にどよめいた。えっ? 何のどよめき? ちゃんと出てくることへの驚きですか?


例によって、出囃子が終わりそうになった頃、ようやく現れる談志師匠。髪はブルーだ。しかもメガネをかけ、バンダナをしたままの登場。高座姿を見るのは、ほぼ1年ぶりだが、ずいぶん細くなったな、というのが第一印象。声は出ている。以前ほど擦れてない。艶が少し戻ったようだ。


開口一番、体調を悪さを嘆き、そう長くはないだろうとつぶやき、落語をやるのは今年いっぱい、と言い放って、広い劇場の隅々までお客を引かせる。毎度のことながら、みごとなまでに気分が萎える流れだ(笑)


枝雀師匠の思い出にふれたかと思えば、初っ端から「あいつは逃げていた」との一言。これは、談志が何らかのアプローチしたにも関わらず、枝雀さんが断った、応えなかった、ということなのか? それとも、なにか比喩的な「逃げ」をさすのか。文脈がわからない。二人の間には、若かりし頃、二人会の話もあったと漏れ聞くが、そういう具体的なエピソードは語られず、詳細はわからず仕舞い。


その後、古典落語のフレーズをつないだ「落語チャンチャカチャン」を演じる。小規模な空間でならば受けただろうが、さすがにキャパ1400名の大劇場では、趣向の妙が客席にまで届かない。微妙にツライ。その後、ジョークを二席。初めて聴く内容だったが、テンポが悪く、聞き取れず。なんだか煮え切らないまま幕が降りる。


休憩を挟んで、枝雀師匠のビデオ落語「つる」。舞台にスクリーンを下ろし、そこに映像を映しだす。音声がクリアだったので、目の前に枝雀さんが現れ演じているようだ。出囃子の「昼まま」が懐かしい。ちょっと涙腺がゆるむ。そんな感傷を抜きにしても、この「つる」は素晴らしかった。新たな発見も多かったので、これは別稿で書くことにします。


そしてこの後、問題の「お誕生会」(座談会)。残念ながら米朝師匠は急病(軽い脳梗塞とのこと)で休演だったのだが、いや、米朝さんがいなくて良かったかもしれない。参加者は、桂ざこば、南光、雀三郎。そこへ洋服に着替えた談志が招かれる。会場割れんばかりの拍手。(前半の登場時も拍手がすごかった)。しかし、当の談志は「オレ、まだ出なきゃいけないの?」的な素振りを見せ、早くもゴーイングマイ・ウェイ。司会の南光師、談志を丁重に扱いつつも、かなり難儀している様子。


師匠の思い出を…という流れで、談志が枝雀さんのことにふれる。当然のことながら、こういう場で「ちょっとイイ話」が出るわけもなく、はなから「偽悪色」が濃厚。なごやかムードが冷えていく。そこへ助け舟(?)を出したのが、ざこば師。ビデオ落語上演時の、ちょっとしたエピソードを披露する。


さきほどのビデオ落語を舞台袖で見ていたという談志。横にいたざこば師にポツリと訊いた。「これ、おもしろいと思うか?」。その瞬間、まっとうな返事をしたらダメだと悟ったざこば師、とっさに応える。「体調によります」


ざこば師、グッジョブ!


枝雀落語はどうだったのか、という問いに対しては、「あいつはイリュージョンへ行ったけれど、名人芸に未練を残していたと思う」という一言。「イリュージョン」は談志用語だが、この場合は、ナンセンスな笑いを追求した枝雀スタイルのことを指すようだ。オーバーアクション、顔芸などを盛り込んで、徹底的にお客を笑わせることに腐心した枝雀さん。その結果、絶大な人気を獲得し不動の地位を築いたにも関わらず、本当は「語りのみ」で聴かせる「名人芸」に未練を抱いていた、との指摘。三遊亭圓生柳家三語楼(初代)のような「語り」の名人になれる逸材だったのに、イリュージョンに手を出してしまった、だから不満だ、というのが、談志の「枝雀評」のようだ。


談志は、そういう評価を通して「落語とは何か」という己の哲学をもう少し語りたかったように見えたが、いかんせん、対談ならともかく、3対1の座談で深遠な展開は難しく、なんとなく未消化になってしまう。


話の流れで、「(枝雀さんがやっていたのは)落語ではない」とも言った。このあたりの表現は、もはや談志ワールドなので、一般には理解不可能かもしれない。満員の客席に「???」マークが飛び交っていた。こういう物言いをさらりと流してはいけないと思ったのか、ざこば師が、やや強い口調で切り返す。「なら訊きますが、さっき(あなたが演じた)のは落語ですか?」。一瞬絶句しながらも、談志は「落語だよ」と答える。それ以上は突っ込めない雰囲気になり、そのまま幕引きへ。まだ何か不満がありそうな談志に対して、最後に決めたのは南光師。


「師匠、文句があるなら、あっちへ行ったときに、本人に言うてください」


ううむ、こうやって書きながらも、なんだか不思議な座談会だった。私としては、談志の「桂枝雀論」をもっと聞きたかったし、無理は承知で「ちょっとイイ話」も聞きたかったのだが……。ただ、談志が枝雀さんの中の名人的素養を評価していた、という点は、大いに納得。枝雀さんは、笑いを追求はしたが、それ以上に情趣やペーソスを大事にしていた人だ。