スルメ日記

ライターのユッキィ吉田が「ゆるい日常」を綴っております。

『哲学の先生と人生の話をしよう』

先日、オンライン読書会に参加しました。

 

対面型の読書会は何度も経験しているけれど、オンラインは初めて。どうなるのか?と少々不安でしたが、ファシリテーター氏の進行が上手で「こういうやり方もあるんだな」と驚きました。

 

課題図書は、『哲学の先生と人生の話をしよう』(國分 功一郎、2013年)。

 

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國分氏は、東京大学の准教授で、メディアでも活躍している哲学者。第2回紀伊國屋じんぶん大賞を受賞した『暇と退屈の倫理学』(朝日出版社、2011年)、第16回小林秀雄賞を受賞した『中動態の世界――意志と責任の考古学』(医学書院、2017年)などの著作で有名です。

 

『哲学の先生と〜』は、國分氏が一般の読者からの相談に答えるという人生相談本です。でも、ただの相談に留まっていない。古今東西の哲学者のエピソードを紹介しつつ、自身の体験を織りまぜて回答をしています。さらに相談者が読むと役立つだろう、という関連書も紹介。

 

至れリ尽くせりの人生相談なのですが、本書の面白みは別のところにあります。

 

恋愛、不倫、進路の迷い、家庭内のいざこざなど、身近な相談に対して、國分氏は、相談文の微妙な言いまわしや特有のクセから、相談者が「何を隠そうとしているのか」「本当の悩みはどこにあるのか」をあぶりだしてくる。書かれてない「行間」に真意が潜んでいると喝破。その手腕が鮮やかなんです。

 

一例をあげます。

 

■ぼくと家族が生き抜くためには何が必要でしょうか?

(40歳、編集者)

 

出版社の編集者が「出版業界は衰退しており、斜陽産業になっている。こんな業界にいるべきなのか、転職すべきか」と相談を持ちかけます。

 

國分氏の回答が実に痛快。

 

無理だ、仕方ない、だって そういう口調の人はどこにでもいます。なぁ、自分のせいなのに周囲のせいにしているということですね。大学教員にもよくいます。自分の講義がクソつまらないから学生がやる気がないのに、学生のことを「だから今の学生はダメだ」と言う。なんで自分がダメなのに気づかないんですかね。もちろん無能だから気づかないのでしょうね。(略)

たぶん「出版は斜陽産業」「自分はこのまま社畜」とか思っている編集者には、こんなアドバイスはできないでしょう。

要するに、あなたみたいな人が、全身全霊をかけて出版を斜陽産業にしようとしているわけですね。

社蓄であり続けるか、それとも「飛び出せ、腕一本で稼げ」かってこの二択しかないってのが、本当に貧困な発想ですよね。僕には意味不明です。この発想の貧困が何を意味しているかというと、いま自分がいる環境の中で何ができるのかを全く見ようとしていない。二択の中間のことを全く考えていない。いま携わっている仕事にこんなスパイスを加えたらいいものになるかもしれないとか、そういうことを考えない……

 

相談者は何の努力もせずに嘆いている。現状で改善や工夫をできるところはないのか?それを見つけるのが先だろう、と叱咤しています。

 

 この回答は私にも刺さりました。

 

努力も工夫も反省もせずに、日々愚痴を連ねることがある身としては、大いに恥じ入りました。

 

國分氏の回答は、明快な答えを提示しません。代わりに、相談者自身が答えを見つける手助けしている。そこがポイントです。いまはわからなくても、考え続ければいずれ正解が現れる。即効性ではなく遅効性のある相談。

 

そこが魅力なんだと感じました。