スルメ日記

ライターのユッキィ吉田が「ゆるい日常」を綴っております。

おかえりなさい


顔を見たかった人がいる。今年のうちに。どうしても。


柳家三太楼改め、三遊亭遊雀


落語ファンはご存知だろうが、三太楼は今年、師匠であった柳家権太楼のもとを去った。破門である。どんな経緯があったのかは知らない。師弟の間は「奈落」のようなもので、部外者は立入ってはいけない聖域だから……。権太楼師も三太楼も情の濃い、しかし、不器用な人間である。ゆずれない何かがあったのだろう。間違いなく言えることは、傷ついてボロボロになったのは、当の二人だ、ということ。


いずれにせよ、三太楼は惚れ込んで門を叩いた師のもとを去らざるを得なかった。そして、高座から姿を消した。


その彼が、遊雀という名前に変わって、再出発を果たしたのだ。そして一年締めの会に、学生時代を過ごした名古屋を選んだのである。これは、もう、駆け付けるしかない。仕事を抜け出して、そそくさと会場へ向かう。


暮れも押し迫った三十日。観客30人ほどの小じんまりとした会だったが、拍手は熱く大きい。待ってました、と声もかかる。


「一身上の都合で、いろいろとありまして。一身上ってのは実に便利な言葉ですね。それは、何も聞かないでってことなんですから」。
ちょっとはにかみながら、ややぎこちなく、船をこぎだす新・遊雀。それでも噺に入ったら、なつかしい三ちゃん節が戻ってくる。「熊の皮」「初天神」に続いて、激動の年の締めに何をもってくるのか。


始まったのは、吉原の噂。「紺屋高尾」である。


これが、実によかった。じわりと臓腑に染み込むような人情噺に仕立て上がっている。吉原の花魁に一目惚れした職人・久蔵。彼を見守る親方、おかみさんが、じつに情の厚い造型なのである。


特筆すべきは、薮井竹庵先生。この通人を、単なる水先案内係ではなく、久蔵の背中をそっと押す「やさしき先達」として描いている。


念願かなって高尾太夫と一夜をともにした翌朝、久蔵は、すべてを打ち明ける。この噺のヤマ場とも言える場面。真摯な告白に心を打たれた高尾は、「来年三月十五日、年があけたら、主(ぬし)のもとに参りんす」と衝撃のプロポーズをする。ここで、たいていの演者は、久蔵の驚きに主眼を置く。


しかし、遊雀の久蔵は、違った。悔し泣きをするのである。拳を握って、絞り出すように返事を放つ。「嘘、いわないでください」と…



ハッとさせられた。嘘でかわされ、戯言であしらわれてきた職人暮らしの辛さが、たった一言に、透けて見えるのである。


親方、おかみさん、薮井先生、高尾太夫。すべての登場人物がやさしく、可愛らしい。にもかかわらず、甘く流れることのない、絶妙な捌きぶり。胸ぐらをつかまれるような談志の「高尾」とも、香気溢れる談春のそれとも違う、遊雀師匠の滋味のある高尾。心に染み入る人情噺だ。


ああ、この人は、高座に戻ってきて正解だった。というより、いなくてはならない人間だよ。そう確信した師走の夕べ。


おかえりなさい。


私もいろいろとあった一年。締めに、再出発を果たした人の、変わらぬ…いや、更なる底力にふれることができ、本当に良かった。