スルメ日記

ライターのユッキィ吉田が「ゆるい日常」を綴っております。

あの頃のこと ー『2016年の週刊文春』

『2016年の週刊文春』を読みました。
著者は柳澤健さん。花田紀凱編集長の「週刊文春」「ナンバー」編集部に在籍後、2003年に独立し、ノンフィクション作家として活躍する方です。

 

文藝春秋社の軌跡を追いつつ、週刊文春の創刊から現在までを克明に綴った一冊。多彩な出版人が登場しますが、主人公は花田紀凱さん。花田体制の「週刊文春」が、いかにヒットを飛ばしたか。その内幕が手に取るように描写されており、読み応えがありました。

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花田さんは、1966年に文藝春秋に入社。最初は「オール読物」編集部に配属され、
池波正太郎の「鬼平犯科帳」の名付け親だったそうです。(知らなかった!)
その後1968年に「週刊文春」編集部に異動し。持ち前の好奇心と行動力で次々とスクープをものにしていく。

 

あさま山荘銃撃戦
大久保清の大量殺人
三浦和義の疑惑の銃弾事件
岡田有希子の投身自殺
貴花田宮沢りえの婚約解消
オウム真理教坂本弁護士殺害事件
統一教会の集団結婚騒動
ジャニーズ事務所セクハラ裁判

 

他にも多数の有名な事件の取材を行ったそうです。


1988年に「週刊文春」編集長に就任。同年発生した女子高生コンクリート詰め殺人事件では、「野獣に人権はない」と、加害少年の実名報道にゴーサインを出し、大きな議論を呼びました。

 

この頃の週刊文春は、私も愛読しており、確かに上昇気流に乗っているかのような、勢いがありました。糸井重里萬流コピー塾」、デーブ・スペクター「TOKYO裁判」、OL委員会の「おじさん改造講座」の連載も毎週楽しみにしていました。(懐かしい〜)

 

「初めて会った頃の花田さんは髪が肩まであって、しかも縦巻きパーマ(笑)。太いロッドで巻いていた。ジーンズの上に米軍が放出したカーキ色のジャケットを羽織っていて、ますで『セルピコ』のアル・パチーノだった」(後輩社員談)

 

私は2002年「編集会議」のライター講座へ通ったのですが、そこで主任講師を務めてくれたのが花田さんでした。文藝春秋を退社し、宣伝会議の取締役を務めていた時期です。花田さんは物腰が柔らかく気さくな方で、すごいキャリアを持ちながら、決して自慢したり、周囲を見下したりしない。受講生との飲み会にも快く参加してくれました。

 

不遜ながら「あぁ、この人は女性にモテるに違いない」と感じたのを覚えています。

 

本の後半に登場する一節が心に染みたので、長文ですが引用します。2018年11月28日に急逝したコラムニスト・勝谷誠彦さんへ花田さんが送った追悼文です。

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11月29日、勝谷誠彦の葬儀を了えたあと、尼崎の駅のコーヒーショップで、ぼく、西川清史(前文藝春秋副社長)、柳澤健(ノンフィクション作家)の三人で、しばらくしんみりと話をした。
三人とも口数は少なく、無性に寂しかった。あの勝谷誠彦が、死んでしまったなんて‥‥。

1985年、文藝春秋が隔週刊の写真誌『Emma』を創刊した。が、時は『フォーカス』『フライデー』全盛時代、両誌に引っ張られ、過激な内容になって2年で廃刊。文藝春秋にとっては鬼っ子的存在で、今や社員からも忘れられている。
ぼくが特集班のデスクで、その下に石山伊佐夫(のち桐蔭大学教授)、勝谷。西川が表紙などビジュアル担当で、その下に柳澤。当たり前だが、皆、若かった(中略)

 

あの年は、ことのほか事件の多い年だった。日航ジャンボ機御巣鷹山で墜落、疑惑の銃弾の三浦和義逮捕、女優夏目雅子死去、阪神タイガース21年ぶりに優勝、そして翌年4月、岡田有希子飛び降り自殺‥‥。

 

その度に『Emma』は過激な写真を掲載、社内外で物議をかもし、ヒンシュクを買った。隔週刊だから過激にしなければ『フォーカス』や『フライデー』に対抗できなかった。

社内では冷たい目で見られていたかもしれないが、しかし編集部は活気に溢れ、エネルギーに満ち満ちていた(ぼくの思い込みかもしれない)。あの激動の日々から、もう30年以上の月日が過ぎたとはとても信じられない

 

その後、紆余曲折あって、ぼくと勝谷、柳澤は社を辞め、それぞれの道を歩んだ。西川だけは車に残り、順調に出世し、副編集長まで務めて2018年に退社した。それぞれが忙しい身で、しょっちゅう会うというわけにはいかなかったけれど、それでも何となくお互いの動静は気にしていた。

 

勝谷にはぼくが編集していた『WiLL』、そして今の『Hanada』に十数年にわたって朝日新聞批判のコラム「築地をどり」を連載してもらった。文体に凝りに凝り、勝也以外、誰も書けない名コラムだった。

 

いろいろ悩みも多かったのであろう、2年ほど前、勝谷は鬱状態になり、一時期コラムを休んだ。その後復活したが、往年の冴えはみられなかった。けれど、ぼくは勝谷にそれを指摘するのが忍びなく、そのまま掲載し続けた。あの勝谷のことだから、いつかまた、鋭さを取り戻すだろうと信じていた。

(中略)
棺の中の勝谷の顔は薄化粧をほどこし、穏やかであった。
あのイタズラッ子のような勝谷の笑顔にもう会えないと思うと限りなく寂しい。
このところ蒲団に入って、枕元の電気を消すと、勝谷のことを考えてしまう。楽しかった思い出、バカなことをやっていた日々ばかり思い出す。


バカヤロー、勝谷、早過ぎるよ!

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なぜ「2016年〜」というタイトルなのか。
文春オンラインスタートし、雑誌からデジタルへ転換が明瞭になった年代を象徴しているそうです。