恵方巻あれこれ
今年は暦の関係で、124年ぶりに「2月2日」が節分だそうですね。
節分といえば古くから豆まきでしたが、最近は恵方巻の人気が急上昇。寿司屋をはじめ、スーパーやコンビ二でも、この時期大量に販売されています。年々高級化が進んでおり、今年はイオンでなんと5,000円!の巻き寿司が登場していて驚きました。
(写真はニュースサイトから)
中身は、毛がに、ずわいがに、本まぐろ、うに、いくら、寒ぶりといった高級海鮮具ばかり。(巻き寿司にせず、単品で食べた方が美味しいんじゃないか?)
このブームは寿司業界だけでなく、菓子業界にも波及し、恵方ロールケーキなるものまで登場。ケーキをまるかじりするそうですよ。
恵方巻は、大阪が発祥の地と言われています。
大阪歴史博物館の収蔵品に、1940(昭和15)年に大阪にあった「美登利」という寿司店が配布した、恵方巻に関する引札(チラシ)が残っています。
そこにはこんな文章が。
「巳の日に巳寿司と云ふてお寿司を食べるやうに毎年節分の日にその年の恵方に向つて巻寿司の丸かぶりすると大変幸運に恵まれるといふ習しが昔から行事の一つとなってゐて年々盛になつてゐます」
この引札は、大阪鮓商組合後援会が印刷したもので、巻き寿司の丸かぶりは一種の販促手段だったようです。大阪で一般化したのは昭和40年代末頃。全国的に普及したのは早くても昭和から平成に移り変わる頃とのことだとか。もっと古くからの習慣だと思っていましたが、昭和40年代だったんですね。
「恵方巻の起源はお大尽遊び」と言われています。
その昔、船場の旦那衆が節分の日に、芸妓に巻きずしを丸かぶりさせて、お大尽遊びをさせたのが、そもそもの起源という説があります。
芸妓さんが巻き寿司を丸かじりするのを見て楽しいのか?という疑問はありますが、まぁ一種の「夜の遊び」だったのでしょうね。丸かじりというのが意味深です。
「節分お化け」という習慣もあるのをご存知ですか。
これも花街から始まったそうで、ふだんとは違う異装をすることで、節分の夜に跋扈するとされる鬼をやり過ごすためだそうです。
京都の祇園などでは、ふだんの衣裳ではない格好をしたり、お客さんが芸妓の扮装をする習慣がいまも受け継がれているそうです。
そういえば何年か前、節分の夜に名古屋で芸妓さんの衣裳をまとったゲイバーのお姐さん方をお見かけしたことがあります。ちょうど榮(繁華街)の交差点を渡るところでした。その艶やかさが今も目に焼き付いています。
『鴻上尚史のほがらか人生相談 息苦しい「世間」を楽に生きる処方箋』
『鴻上尚史のほがらか人生相談 息苦しい「世間」を楽に生きる処方箋』(朝日新聞出版)という本を読みました。
鴻上さんのコラムは好きで、週刊SPAの連載『ドン・キホーテのピアス』は毎号読んでいますし、英国留学の体験記『ロンドン・デイズ』も印象に残った作品でした。
数多く出版されている鴻上作品の中でも、この本は出色の出来と言っていいほど、素晴らしい内容でした。ニュースサイト「AERA.dot」の連載を書籍化したもので、タイトルからわかるように人生相談本です。
連載も読んでいましたが、まとめて読むと、どんな相談にも考え抜いた答えを返しているのがすばらしい。
しかも、ここがポイントなんですが
相談者が「すぐ始められることを具体的に」提案しているんです。
誰しも悩んでいる時は、ただの励ましや精神論は耳に入りません。五里霧中です。そんな人に正しいことを語っても仕方がない。提案すべきは、今から何をしていけばいいのか。これに尽きます。
鴻上さん自ら「あとがき」にこう書いています。
「もし、『ほがらか人生相談』を受け入れてくれる人が多いとしたら、演劇の現場のリアリティーに、僕が鍛えられたからだと思います。演劇という人間と人間がぶつかる場所でなんとかギリギリの落とし所を見つけようとして、観念的ではなく、理想論でもなく、精神論だけでもなく、具体的で、実行可能な、だけど小さなアドバイスをずっと探してきた結果だと思います」
〈具体的で、実行可能な、小さなアドバイス〉
相談者が求めているのはまさに、これ!
大いに共感した次第です。この人生相談は、続編も書籍化しています。現在も連載は続いているので、ご興味あればご覧ください。ホントに良いです。
『新宿二丁目』
『新宿二丁目』(伏見憲明著:新潮新書:2019年)を読みました。
感想はたった一言。
面白かった!
新宿二丁目という世界でも類を見ないゲイタウン(正確にはLGBTの町)がいつ、どうやって成立したのかを、克明に追ったルポルタージュです。
200冊近くの文献を調べ、様々な関係者に取材をし、歴史を紐解きながら、この街の素顔に迫っていく手法が圧巻でした。
江戸時代に甲州街道の宿場町が置かれた新宿に遊郭が生まれ、それが多方面へと拡大。明治、大正、昭和を経て、今に至る変遷が克明に綴られています。
江戸川乱歩、三島由紀夫、美輪明宏など蒼々たる御仁が、「二丁目」を愛し、巣立っていく様子も随所に出てきます。
驚いたのは、女優の乙羽信子さんが、二丁目でバーを開いていた事実。宝塚歌劇のヒロインが、なぜ二丁目に店を構えたのか。著者は謎を解き明かすため、取材を重ねますが、ついぞ理由はわからず。恐らく「当時、愛人であった新藤兼人監督の映画製作の資金づくりのためだったとではないか」と推察するに留まっています。
とにもかくにも、日本の芸能界を語る上で避けることができない場所。それが「二丁目」なのかもしれません。
著者の伏見憲明さんは、『魔女の息子』という私小説で第40回の文藝賞を受賞している作家です。私も同書を読みましたが、年老いて恋愛に奔走する母親を、息子の視点で、淡々と描いたストーリーが面白く、『新宿二丁目』も手に取った次第です。
かつては同性愛者の出会いの場(ハッテン場)として機能していた二丁目。しかし、ネット時代になり、出会いの場もオンライン化してしまい、最近は普通の観光バーが多くなっているそうです。
風俗論というより、街場論と言った方がふさわしい良書でした。新宿二丁目を書いた著作は他に多数ありますが、この本が決定版ではないかと思います。
『深夜バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』
『深夜バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』を読みました。
バスの本ではなく、大阪住まいのライター、スズキナオさんのコラム集。これが、実になんとも愉快だったのです。
「あなたの知らない『昼スナック』の世界」
「廃車になったバスの中で絶品の和歌山ラーメンを食べてきた」
「スーパーの値引き肉だけで半額焼肉パーティー」
「六甲山系の登山道を自力で整備した「えっちゃん」のモダン焼きを山頂で食べる」
「カップヌードルに入れるとおいしい漬け物を検証」
こんな感じで、お金をかけずにできる「ちょっとした楽しみ」を見つけて体験してみる。(かかった費用は、どれも1,000円程度だと推察)。そんなスタイルの記事が並んでいます。
脱力系とも癒し系とも違う、不思議なコラムですが、マイペースで楽しんでいるスズキさん。
思えば子どもの頃は、お金を使わなくてもできる楽しみがたくさんありました。木に登って柿をとったり、池でフナを釣ったり、河原で石投げをしたり。田舎育ちなのでこんな遊びばかりでした。大人になって忘れてしまった「身近にある幸福」を、ふと思い出させてくれる一冊でした。
そういえば、メーテルリンクの童話『青い鳥』もそうでした。チルチルとミチルが、幸福の象徴である青い鳥を探しに行くものの、結局、幸福は自分たちの身近にあった。そんな話でしたね。
スズキさんは、WEBメディアにもたくさん記事を書いていますが、最近、惹かれたのはこちら。
この記事に登場する「布引きおんたき茶屋」が、なんとも素敵な場所でして、ぜひ行ってみたいと思う今日この頃です。
『「ない仕事」の作り方』
先日、友人主催の読書会に参加しました。
課題本は、私の選書で『「ない仕事」の作り方』(みうらじゅん著)
みうらさんといえば、「ゆるキャラ」や「マイブーム」など多彩な活躍で知られるサブカル界の人気者。そのみうらさんが、自身の仕事術をすべて公開したのが、この本です。サブカル本っぽく見えますが、ビジネス書として秀逸で、学ぶところの多い一冊です。
■ないものから探す
私がインターネットでよくやるのは「出てこない言葉」を探すことです。普通は世に出ているものを調べるでしょうが、私の場合はこれから世に出したいもの、そのネーミングなどが、まだ誰も手を出していないものかどうかを確認するために検索するのです。
■逆境を面白がる
マイナスなものを、名前をつけて面白がってみると、自分の気持ちすら変わってプラスになります。
■好きなものが連鎖する
ひとつのものに夢中になると、自然とそこから派生するものも頭のどこかにストックされていき、それが仕事につながっていきます。
■「私が」で考えない(自分なくしの旅)
私が何かをやるときの主語は、あくまで「私が」ではありません。(中略)そもそも何かをプロデュースするという行為は、自分をなくしていくことです。自分のアイデアは対象物のためだけにあると思うべきなのです。(中略)「自分探し」をしても、何もならないのです。そんなことをしているひまがあるのなら、徐々に自分の煩悩を消していく、「自分なくし」をするほうが大切です。自分をなくして初めて、何かが見つかるのです。
バラけると意味がない。合うと層見える。それが「ない仕事」の真髄だと、自分で初めて気がついたのです。そもそも違う目的で作られたものやことを、別の角度から見たり、無関係のものと組み合わせたりして、そこに何か新しいものがあるように見せるという手法。
以上、印象に残ったフレーズですが、みうらさんは、常に「逆転の発想」で仕事をしてきた人だったと、この本を読んで発見したのです。
イノベーション(innovation)とは、物事の「新結合」「新機軸」「新しい切り口」「新しい捉え方」「新しい活用法」を創造する行為を言いますが、みうらさんの仕事は、まさにイノベーションではないかと感じました。
巨人大鵬玉川太福4
前回に続いて、今日も4ヶ月前のことです。(もっと早く書きましょう・汗)
新型コロナウイルスがニュースを騒がせ始めた3月11日。大阪・道頓堀の小ホール「ZAZAポケット」へ浪曲師・玉川太福さんの独演会を聴きに行きました。
太福さんは、いま人気上昇中に浪曲師。古典だけでなく、自作の浪曲も演じるので有名です。
この日は、なんと4席という大盤振る舞い。
■これぞ大福ワールド「地べたの二人より、おかず交換」
まずは、太福さんの経験をもとにした(?)新作。
「地べたの二人」は、シリーズになっているんですが、ある会社の中年社員と若手のやりとりを描いた作品で、これが笑える。若手が持ってきた愛妻弁当が気になるオジさん社員。渋々、おかずを差し出す若手。その後の顛末。
この日はショートバージョンでしたが、まさに太福ワールドそのものでした。
■古典もうまい「石松代参」
師匠譲りの渋い節回しで、なかなかの出来映え。ちなみに師匠にあたる玉川福太郎さんは、太福さんが入門してわずか3ヶ月で亡くなってしまったため、修業は苦労をされたそうです。いま曲師を務めている玉川みね子さんが、師匠の奥様です。
■ドキュメンタリー浪曲「サンバが正解」
そして問題の新作浪曲。この日が初演だそうです。これ、新作というよりドキュメント浪曲と言った方が良いかも。
どんな内容かと言いますと
講談師の神田伯山さんの襲名披露パーティーで余興を頼まれた太福さん。引き受けたのはいいが、会場へ来てみると、モノマネの松村邦洋、活弁士の坂本頼光という有名ゲストがいるではないか!彼らの間に挟まれて登壇しなければならない。
一気にプレッシャーがかかってしまい顔面蒼白の太福さん。なんとか神田伯山の生い立ちや業績を浪曲に仕立てて、一席披露したのはいいが……。
結局、思ったほど受けなかったそうです。
なぜ外題が「サンバが正解」なのかは、披露パーティーの会場が「浅草ビューホテル」だったから。浅草といえばサンバ。まぁ、やけくそで付けた題名ですね(笑)とはいえ、十分に笑わせてもらいました。
■まさかまさかの「任侠流山動物園」
そして締めは、まさかのアレでした。
「任侠流山動物園」と言えば、落語界の奇才・三遊亭白鳥師匠の持ちネタですよ。廃園に追い込まれようとしている流山の動物園を救おうと立ち上がった動物たちの任侠噺なんですが、これ全編、登場人物が動物なんです。
白鳥師匠で何度か聴いたことがあるものの、浪曲にできるのかと一抹の不安が……。
ところが、浪曲と言えば啖呵(たんか)!
太福さんが渋い声で啖呵を切ると、そりゃもう迫力がある。
大盛況の一席でした。
余談ながら、この会(3月11日)の後ぐらいからコロナの感染が拡大して、次々とライブ関係が自粛を余儀なくされていきました。楽しみにしていた落語や講談、舞台公演のキャンセルが相次ぎ、辛い毎日を送るハメに。
とはいえ、4ヶ月が過ぎ、徐々に再開されており、落語会の案内も届くようになりました。早く平常に戻ってほしい。演者さんのためにも。
尾道ライター・イン・レジデンス
1月に「尾道ライター・イン・レジデンス」という企画に参加しました。半年以上経ってしまいましたが、記録として書いておきます。
この企画は、何らかの執筆活動を行っている人が、尾道のゲストハウス「みはらし亭」に滞在して、創作活動を行うというものです。
(ゲストハウスみはらし亭)
尾道は、列車の待ち時間に少しだけ散策したことはあるものの、観光や滞在は、初めてでした。
第一印象として感じたのは「活気がある街だ」ということです。街の中央に1kmあまりのアーケード街があるんですが、この商店街が実ににぎやか。地方へ行くと、シャッター街をよく見かけますが、尾道には閉店している店舗は見当たらず。観光シーズンではない1月でも街には観光客(若い人が多い)が闊歩していました。
クレープ屋、カフェ、ベーカリー、お好み焼き屋など、行列ができるほど繁昌しているお店も多かったです。自炊生活でしたので、毎日、山を降りて買い物する生活でした。初日は「こんな階段を昇り降りするのか!」と驚いたものの、すぐに慣れました。むしろ運動になって、毎日快眠できたほど。
「みはらし亭」は、有名な千光寺山の中腹にあり、文字通り、見晴らしが最高の場所でした。この山の斜面地には、あちこちに豪邸が残されています。
尾道は江戸時代に北前船の寄港地として栄え、豪商が次々と誕生した。そんな歴史があるのです。彼らは千光寺山に贅を凝らした別荘をつくり、そこで週末に茶会を開いて、客人をもてなしていたそうです。
そのため、千光山にはいまも豪邸が数多く残されている。建築に興味がある人なら、見て歩くだけで垂涎ものの物件が、あちこちにありました。今も保存活動が盛んに行われていて、そのリーダー的存在が豊田雅子さん。
NPU法人「尾道空き家再生活動」を主催している女性です。彼女の奮闘に引かれて、全国から大勢の若者が尾道を来訪。豊田さんと知り合ううちに移住を考えるようになるそうです。おかげで商店街には、カフェや雑貨店、シェアハウス、ベーカリーなど、移住者が始めた店が並び、活気を源泉となっています。
この活動を取材して、こんな記事を書きました。
私もあちこちの店に行きましたが、特に美味しかったのが「みやち食堂」。ここは古くからある街の食堂ですが、カレー中華そばが絶品でした。小さな店ですが、おかみさんの気遣いがあり、良い雰囲気。尾道在住の方に聞くと、「尾道ラーメンより断然みやちの中華そば」だそうです。たしかに納得。
もう一ヵ所、とても美味しかったのが、「パン屋航路」というベーカリー。この店は何を食べても絶品ですが、特に優れものがドイツパン。朝食は和食派の私ですが、このパンに出会って、毎朝、トーストとコーヒーをとるようになったほど。お土産に買って帰ろうとしたのですが、最終日に行くと、残念なことに定休日でした。「パン屋航路」のパンを食べるためだけに尾道へ駆けつけたいほどです(笑)
ちなみに店名は、志賀直哉の「暗夜行路」のもじりです。志賀直哉は、一時、尾道に滞在しており、今も旧居が残っています。
肝心の創作活動ですが、尾道デニムというプロジェクトを取材しました。こちらも尾道を活気を生み出しているユニークな活動です。
ライター・イン・レジデンスで知り合った方の案内で、念願の浄土寺を訪れることもできました。小津安二郎監督が映画「東京物語」を撮影した場所です。ここで原節子と笠知衆がたたずむシーンは今も鮮明に思い出します。
というわけで、楽しかった尾道ですが、唯一残念だったのが、天気が良くなかったこと。スカッと晴れる日がほとんどなく、どんよりした空模様続き。晴れたら、船に乗って島へ渡ってみたかったのですが……。これはまた来年の楽しみにとっておきます。